ばかおとっつあんのあやしい生活

あやしい日常の記録です

ここに愛はあるんか

母の死亡関連の手続きで直面した不条理に対する、ばかおとっつあんの単なる愚痴です。手続きに行った先は次の3つ。

  1. 区役所
  2. 年金機構
  3. ゆうちょ銀行

区役所

死亡届は8/6に葬儀社の方によって届け出されていました。が、戸籍謄本への反映は8/15の午後になるとのこと。8営業日もかかるのか。何をやっているのか知る由もないが、自分の感覚からすると、「The お役所仕事」というしかない。

これを知ったのは、8/13に予約した区役所の「お悔やみ窓口」の手続きがすべて終わった後でした。年金機構に提出する書類に「戸籍謄本」とあったので、区役所の窓口で、これこれの理由で戸籍謄本が必要なので、申請しましたといったところ、まだ反映されていない、反映は8/15の午後になるとのこと。出直せと。

年金機構

前もっての予約が必要とのこと。で、予約は2日後の予約しかできず。で、8/13区役所の後で飛び込みで行ってみる。ほぼ1時間ほど待たされたが、丁寧に対応いただく。必要書類の書き方を事細かに指示されたが、年金関連の書類について知っていることを前提に話を進めるので、書類名や手続き内容などほとんどわからず。私は、いちいち確認するので担当者もイラつき始めるのがわかる。でも、普通の人って、年金の手続きや書類についてあんまり知らないと思うんだが。

とりあえず、手続き内容はよくわかったので、ここは大丈夫。あとは書類を整えて郵送するのみ。

ゆうちょ銀行

ここが一番厄介。手続きに持って行った母の口座以外に、母が口座を持っているかどうか確認したほうが良いというので、その手続きから。ちなみに、相続人は私である。

担当のおばちゃんも、手続き内容を知っている前提で話を進めるので、困ったもんだ。

提出する戸籍謄本の件は最悪で、戸籍謄本等家族関係がわかるものを取ってきてくださいというので、区役所にて母の戸籍謄本をもらってくるが、これ、私と母の関係が載っていないのでその関係が記載されている書類を再度持て来てくださいとのこと。この暑い中、もう一度区役所へ行き、窓口でその旨を説明し該当する戸籍謄本をもらう。

ちなみに戸籍謄本って1部、450円するのね。かなり以前に住民票や戸籍謄本の料金を着服した南区職員がいたっけ。

結局、母の戸籍謄本と、私の戸籍謄本をもらえばよかったことがわかる。初めから、2通(母と私)必要といえば簡潔にわかるのに…

で、口座の確認結果は、私の住民票がある住所にしか郵送できないのである。父の介護や母の四十九日の関連で、名古屋にいることが多くなると思われるので、名古屋の住所に送ってとお願いしたが、かなわず。両親の介護関係や、区役所関連の書類は指定の住所に郵送してくれるのだが、ゆうちょ銀行はダメ。まあ、手続きに期限はないのでいいとするか。なお、母の口座を凍結するかどうかは、私の判断でOKとのこと。で、凍結せず。兄と相談して少しづつ使っちゃおうかな。

結果確認後に、正式な相続手続きが始まる。また区役所との往復が想定される。長い道のりである。

ちなみに、すでに私が知らない母の口座があるようだ。手続きが終わって、さあ帰るかというときに、担当していたおばちゃんが、そう言っていた。なら、もっと早く連絡してくれよ。

区役所2

ゆうちょ銀行の一件で、本日区役所を二往復したのだが、コンシェルジュだか何だかわからん太ったおばさんが手続き番号の発券機の横にどてっと座っていたんです。この人、私服で大きめのマスクをつけ、スマホをぶら下げ発券機の横にある椅子に座って、ハンディ扇風機で涼んでいたので、区役の人とはわからず、発券機に券を取りに行って、初めて係の人と分かったくらい仕事してない感じだったんです。これこれで戸籍謄本を取りに来たと説明すると、申請書を見てこういうのです。「これ、ここが違うので書き直して」確かに、記載間違いはあったのですが、かなり上から目線。私以外の人に対しても、上目線で、若い男性と少し口論してました。そりゃ手続きなぞしょっちゅう来るわけではないので、わからないことばかり。ただでさえよくわからずに手続きに来るのに、上から目線はないわ。話し方をもう少し考えないと。

我々の税金が、こんな職員の給料になるかと思うとやりきれないですわ。私は名古屋市民ではないので、大丈夫か。

教訓

  • 役所や公的機関は気持ちや時間に余裕のある時に行くべきである
    •  なぜなら、役人や半官半民は
      • 上から目線
      • ユーザーファーストは皆無、お前らが合わせろ
      • そんなこと知ってるだろ、そんなことも知らないのか
    • なので、無礼な人間の所業にも笑って対応できる余裕がある時でないとだめなのです

母の死

葬儀も終わり、あとは公的な手続きを粛々とこなすだけなので。

母が亡くなった

母が亡くなったのだが、あまり悲しみが湧いてこない。入院してから、亡くなる直前まで、手続きや介護など母の状況を一番把握していたので、心の準備というか覚悟ができていたのだろうと思う。主治医からも心臓が不安定なので、いつ亡くなってもおかしくない状況であると聞いていたし。

一方で、母との思い出を思い出さない自分もいるのです。きっと悲しみたくないからなんだろうね。

7月26日に母の転院手続きのために、西表島から名古屋に帰ってきたのですが、妻の母親が3日後の7月29日に亡くなっているので、母たちに呼ばれたのかもしれません。

介護中、母が私の顔や名前を忘れてしまったと知ったときはショックでしたが、いろいろなことを忘れていく母を見ていると、死に対する恐怖心なども消え去っているようで、時々見せる笑顔には何か神々しくも感じられるのでした。

ただ、病院で作成された治療計画書には、母のやりたいことの欄があって、そこに「家に帰りたい、お父さんに会いたい」との記載を見つけた時には「もう母は家に帰ってくることはない」と決めつけていた自分はなんてことを考えていたのだと、後悔の念があります。
そして、計画書の最後には、ほとんど動かない指で記名されたと思われる母の最期の字がありました。

2025年8月6日(水)

2025年6月9日に、極度の脱水症状と蜂窩織炎による足の痛みで、名市大病院に緊急入院してからほぼ2か月で逝きました。92年間の生涯。

母の入院や転院にあたっては、物事がうまく運ばない状況が続きました。

6月の緊急入院も、介護ヘルパーさんとの契約が済んで、さあどういった形で介護するか相談した矢先の緊急入院。

慢性期病院、笠寺病院への転院が決まってから、頭部の蚤が発覚し転院が延期に。

8月7日には、笠寺病院からの転院先、24時間介護体制の介護施設の関係者と転出後の治療体制について相談をする予定でした。最後まで予定通りに進めさせてくれませんでした。

昨夜、8月5日(火) 15時くらいに嘔吐して、断続的に吐き戻していたようです。呼吸が停止したのも突然だったようで、22時過ぎに病院から電話連絡があったが、あいにく私は風呂に入っており気づかず。病院から兄に連絡があり、兄からの連絡で危篤を知ることに。

タクシーを手配して病院に行くと、心電図やら母の体に取り付けられた計器が異常音を鳴らしている状態。すべての計器表示が0。すでに亡くなっているようですが、計器類は医師の死亡診断後でないと外せないとのこと。

2025年8月5日 23:13医師による死亡が確認されました。

取り急ぎ、葬儀社を決める。自宅に一番近いところに依頼する。
日付変わった1時前に病院まで遺体を引き取りに来てくれるとのこと。

それまでに、病院で母の体をきれいにしてもらう。薄く化粧もしてくれたようだ。
苦しんではいなかったようで、穏やかな顔をしていました。

兄に状況を報告し、今後の進め方を相談する。妻にも連絡。子どもたちには明日の朝、直接電話することに。

葬儀社が母を迎えに来た。
母の乗った車を見送った後、自分もタクシーを拾う。
母のために買ってきた、カロリー高めの甘めのジュースや、栄養補給用のオリゴ糖などを持って帰ったのだが、ほとんど飲んでおらず、なんだかむなしい。

1時半くらいに帰宅し、風呂に入る。少し早めに起きて準備しなくては。
ああ、会社に連絡しなければと思い、諸手続きを行う。

ちょうど先週の火曜日に妻の母親も亡くなったので、葬儀後一日おきに実家に戻っていた妻も今日は早めに戻ってきてくれるようだ。

葬儀社の方とは11時に打ち合わせを予定。
その前に、父に報告しなければ。兄が10時前に来てくれるそうなので、一緒に報告に行こうと思う。

気が付くと3時を過ぎている。もう寝よう。

朝10時
兄が少し前に来てくれたので、父に報告に行く。案の定、取り乱す父。
父が落ち着いてから、自宅に戻り葬儀社の担当者と打ち合わせ。
父のことが心配であったが、13時過ぎには段取り完了する。
兄、妻と3人で近くのコメダ珈琲店で昼食。その後、父のところに戻り、葬儀の日程を連絡する。

15時から枕経があるので、父の喪服を探す。

15時から枕経。父はすべて理解したのか、思ったよりも冷静であった。

2025年8月7日(木)

お通夜
終了後に、娘がお寿司を買ってきてくれたので、参列の皆さんと会食。いつもの父に戻っていた。安心。

2025年8月8日(金)

告別式
火葬場は、八事霊園が改装中なので、名古屋第二斎場にて。
できたばかりなので、きれいな火葬場。火葬炉も露になっておらず、生々しさは全く感じない。待合室も広く清潔。

待合室では、時折笑いも起きる和やかな葬儀でした。告別式は参加者すべて藤堂姓なので、気を使うことなく式は進行しました。母方の親戚は遠方であるのと、高齢者が多いので、しょうがないですね。

滞りなく母の葬儀が終わりました。

2025年8月9日(土)

今日はゆっくりするつもりでしたが、父からの呼び出しと、お墓の掃除などがあり、やはりゆっくりできず。四十九日の法要も日時と場所を決め、参加者に連絡したので、今日はここまでに。

週明けの火曜、水曜は役所関連の手続きで忙しくなるので、明日はゆっくりしたいなぁ。でも雨っぽい。ちょうどいいか。

なんて日だ

部屋を8時前に出たのだが、名古屋の自宅についたのは日が変わって、00:30
なのでありました。

2025年7月26日(土)

今日は名古屋に戻る日。台風8号の影響で、上原航路は欠航。なので、バスで大原港へ。ちょっと安上がりにするため、ANAの直行便ではなくJALの那覇乗り換え便。しかも少し時間遅いやつに。

上原港からバスに乗るために、8時前に部屋を出る。
Wさんからお土産にピーチパインをもらったり、ここまでは良い日でした。ここまでは。
乗船して間もなくすると、台風のうねりで船は大きく揺れ始めた。横揺れがひどく、しばらくすると後ろの家族の子供が、嘔吐。かなり苦しそう。
iPodで音楽を聴いていたのだが、嘔吐の嗚咽がすさまじく、いやがおうにも耳に入ってくるのでありました。

石垣空港では、かなり時間があったので、琉球マッサージを。いつもは、気のいいおじさんや話の弾むお姉さんが施術してくれるのだが、今日は中国系のお姉さん一人。日本語は通じるが、何となく不安。右足がまだ本調子ではないので、右足ちょっと緩めにお願いしたのだが、通じていなかったようで、右足ふくらはぎを強烈に揉みしだきやがった。50分コースでお願いしていたが、実質40分くらい。おい。

今日はJAL那覇経由便。16:15石垣発。手荷物検査を済ませ、待合で待っていると那覇便は30分遅れの放送。このあたりから嫌な予感。予約した座席は3人掛けの真ん中。左は落ち着きのないおっさん。1時間やなかんじ。

那覇につくと、名古屋便は45分遅れ… 名古屋発は19:30が、遅延で20:20発に。

ちょっと腹ごしらえしようと沖縄そばでもと思ったんですが、売店は長蛇の列。食べる場所もないし、あきらめる。軽食も売り切れ。

空腹と虚脱感から足を引きずって搭乗。荷物を上の棚に入れるとき、手が滑ってザックを落とす。カメラとPC大丈夫か(大丈夫でした。ほっ)。なんとか着席するが、隣はファッティなお姉さん。嫌な予感しかしないのです。リクライニングのボタンがわからないのか、ポジションが悪いのか、せわしなくごそごそしだす。こちらは空腹と疲れで、すぐに眠りたいのだが、ファッティのTシャツの裾が私の腕にちらちら当たるのです。よくみるとファッティは、座席の幅よりも横幅広く、腕が私の座席のエリアに侵入しており、私の腕にちょこちょこと当たるのでした。しばらくすると、私は眠ってしまったようです。着陸態勢に入ったところで、CAさんからリクライニングを戻すよう指摘を受ける。えっ、リクライニングしてないんですけど、と思ったがしっかりリクライニングしておりましたw さてはファッティ、こっちのリクライニングのボタンも押したのかw

セントレアにつき、回転テーブルで自分の荷物を待っていると、小学生低学年くらいの男の子が、やけに大きなキャリーケースを下ろそうと手間取っているので手伝ってやりました。とすぐに、父親らしき人が現れたのですが、お礼を言うと思いきや、なぜか睨まれました。

名鉄ホームまで行くと、直前で特急が行ってしまいました。ついてないと思い15分後発の列車に。これが特急と同じような感じでラッキーと思いきや、目的駅の手間で臨時停止。どうも下りのダイヤが乱れていて、時間調整での停止とのこと。目的駅に着くと、またしても乗るべき列車のドアが閉まる。こちらも15分待ち。すでに日をまたいでおりましたw

最寄り駅に着くと空腹感もなく、虚脱感のみ。抜け殻のように家に向かう。到着は00:30。

愛猫のはなさんが出迎えてくれたのが、せめてもの救い。

風呂にはいって床に就くと、01:30ではないか。

なんて日だ

テストについて考える

久しぶりの投稿です。

西表島で「寺子屋」という中学生を対象としたコミュニティを開催していることもあり、以前から考えていたことを少し文章化しておこうかと。

 

学校生活における「テスト」って、2つの意味を持っていると思うんですよ。

①成績(生徒の順位付け)をつけるための手段
 ※主に先生たちの都合??

②どこまで理解できたかを知る手段 
 ※自分のわからないところを知る手段で、自分のため

 

自分も昔はそうだったんですが、テストを①の認識で考えている人が多いのかな。

で、定期テスト前にはがっつり「テスト勉強」するんですが、テストが終わると、勉強しなくなりがっつり遊んじゃうんですよね。なので、勉強するのはテスト前だけ。

成績(通知表)を考えると、しょうがないのかなとも思うのですが、テスト本来の意味って②と思うのですよ。

※ソフトウェアを作るときでも、正しく動作しないところ、想定していた動きと違うところをあぶりだす工程が、テスト工程になりますし。

極論してしまうと、(①を考えなければ)テスト前は勉強せず、テスト後に理解しきれていなかったところ(間違えたところ)が浮き彫りになるので、足りぬところを知る。

わからなかったところがわかれば、あとはそこを集中的に勉強するだけでいいんですよ。

なので、①の認識のみで、テスト後に勉強しないって、かなりもったいないと思っています。

考え方には個人差があって、人それぞれなので、正解なんて提示できないんですが、寺子屋の子どもたちには②の考え方もお話しできればいいかなぁと思う今日この頃です。

テスト前に、短期間でガンガン詰め込んじゃうので、テスト後は開放感でがっつり遊んじゃう気持ちもよくわかるんですよね(自分もそうだったので)。

2024年10月8日(火)

アキレス腱断裂からちょうど2か月。

装具をつけての自立歩行可能。装具のソールもあと2段階。

今月末には、装具なしでの歩行練習もできそうだ。

右足ふくらはぎの筋肉はかなり衰えているので、回復までには時間がかかりそう。

2月のやまねこマラソン完歩を目標に、リハビリと筋トレをしっかりやっていかないと。

2024年9月13日(金)

本日、歩行用装具を装着し、歩行練習。

装着してすぐはバランスがとりにくく、アキレス腱も突っ張り歩くのが難しかったが、慣れてくるとなんとか歩けるように。

装具は¥83,793  ハンドメイド感がすごい逸品。
健保で7割バック。手続しないとね。

使っていたシーネも寝るときにつけてね、ということでお土産に。

 

二足歩行がこんなに安心できるなんてこれまで考えてもみなかった。うれしい。

妻に迎えに来てもらい、帰宅。途中、久しぶりに自宅近くのコメダに立ち寄り昼食。

いい感じ。

傷口の経過もよく、今日から湯船につかるのもOK。

ちょっとのアルコールもOKってことで。

 

あとはゆっくり焦らずリハビリ。5週間で装具もとれる。

目標は2025年度やまねこマラソン

 

 

2024年9月6日(金)

今日は息子の誕生日。関係ないかw

本日抜糸しました。傷の治り具合は順調だそうだ。

装具の型取りを行い、リハビリ。
先生曰く、右足ふくらはぎ以外の筋力も落ちちゃうので、できるだけストレッチと筋トレやってねとのこと。頑張ってみようと思う。

来週シーネが外れ、装具に切り替え。装具は8万4千円くらい。結構高いのです。

先は長いが、一歩前進したかな。

 

こちらは抜糸前の患部。アキレス腱はある。よかった。

足ほっそ